島暮らし、あー島暮らし。

島暮らししたい、島暮らしに戻りたい、島暮らしに戻っちゃおうかな。








隠岐の島って、みなさんご存知でしょうか。
隠岐の島は私が約二年間暮らしていた、島根県の島なんですけどね。

メチャクチャいい島なんですよねえ。

場所はコチラです。

隠岐


ご覧の通り、日本海にポツンと浮かぶ島で、その昔は流刑(島流し)の地として有名だったみたいですね。

ここ最近では、島固有の文化や自然が世界的に評価されて、ユネスコ世界ジオパークに認定されたことで盛り上がっておりました。

島根と鳥取の県境あたりにあるので、島根県になってみたり、鳥取県になってみたりしたこともあるみたいですが、今は島根県の島として落着しています。

この島は連なっているように見えますが、実は四つに分かれてまして、それぞれが別々の自治体の管轄なのが特徴的です。

隠岐諸島


大きい島が島後で、小さい島たちが島前と呼ばれており、私が住んでいたのは島後の隠岐の島町の方。


隠岐の島町は人口が1万5000人にも満たない小さな島。
信号は港の近辺にあるだけだし、車を走らせていると誰かしらの車とすれ違うくらい狭い世界でした。


50m先でもエンジンをかけるくらいの猛烈クルマ社会で、バイクやスクーターはあまり見かけない社会で、私はその中に紛れてよくスクーターをかっ飛ばして移動していたので、よく目撃情報が飛び交っていたのが懐かしいです。

島暮らし
船でドライブ

白島
史跡名勝天然記念物の白島海岸


島に行ってすぐの頃は、知り合いの漁師さんにボートを出してもらって、凪の海を悠々と散策したりしたなあと、懐かしくも鮮明に思い出します。


私が住んでいたのは北の方にある、島の中でも漁師の人口比率が多い村だったこともあって、住民はボートを持っていて当たり前な感じの世界でして、海遊びが日常化していて最高でした。
(日常化しすぎて、あんまり釣りもしてないし、潜りもしてないし、船舶免許も取るの忘れた。)


仕事が終わってすぐあとには誰かが海辺でやっているBBQに参戦するという日常がそこにはあり、数時間後、いいだけ呑んで酔っ払って食料が尽きてくると、漁師さんがうちの生け簀にアワビ入ってるから持ってこいと言って、そのアワビで仕切り直しの乾杯をしたり、都会生活では想像すらできない非日常が詰め込まれていました。


私は家賃1万5000円の一軒家をお借りして住まわせていただいてたのですが、そこは海まで徒歩30秒という立地で、窓を開ければ波の音がいつも気持ちよく聞こえる、オーシャンビュー(2階のトイレ限定)な生活だったんですけども、いま思えば格別でした。


大家の村田のばあちゃんが休みの日に引き戸の扉をガラッと開けて入ってきて、あんたいつまで寝てんのかねって言って起こしに来てくれたり、テレビを見ていたら隣の家のおっつぁん(島ではおっちゃんおっつぁんと呼ぶ)が酒を持って家に入ってきて、一緒に飲むかって声かけてくれたり、風呂に入っててまた玄関の扉が開いたと思ったら、今度は魚持ってきたから冷蔵庫に入れとくよってことがあったり。


しかも、風呂を上がって、ありがてえなあと思いながら冷蔵庫を開けてみたら、私が魚を捌けないのを知ってるから、わざわざ刺身にした状態で届けてくれてたりするんですよ。やさしい、やさしすぎる。


本当にかわいがっていただいてたなあ。
かわいがっていただいてたこの感謝を返していきたいなあ。



隠岐の島宴会
隠岐の島に住み始めて間もない頃の住民会議という名の飲み会

隠岐の島宴会
歌っていると踊り出すのは日常茶飯事


ここの地域は、山に幹線道路が敷かれるまでは僻地と言われていた場所で、独特な雰囲気の漁師村なのですが、いい意味でも悪い意味でも血縁関係が濃すぎて、みんなクセがすごい。


あとは、漁師村の気質もあると思うけど、おっつぁん方は基本的に口が悪い。
厄介なのが、何かを強い口調で喋ってるんだけど、歯が抜けてるんだか、滑舌が悪いんだか、方言がキツいんだかわからないけど、とにかく言葉は聞き取りづらいんですよね。一年経てばネイティブ並みにリスニングはできるようになって、方言も交えて喋れるようになってましたけど。


みんな、言い合いになった時は牽制しようと思ってせっかく怖い顔をしてるんだけども、いい人オーラが滲み出ちゃってるから、はたから見ているよそ者の私からしたら何にも怖くなくて、逆に、こんなに感情的になってるってことは何かがあるわけで、この人は自分の中の何を守りたいんだろうかって、汲み取る勉強になりました。


クセが強くて、言葉もキツかったりするけど、みんな自分の心に正直に生きているから大好きなんだよなあ。


漁の手伝い
マルゴ漁の網外しの手伝い

漁の手伝い(スイミー)
サボってスイミーにしてみた


私の隠岐の島生活の記憶は、呑んでるか、呑んでるか、呑んでるか、祭りに出てるか


祭りのあとは何かと理由をつけてどうせ呑みに発展するから記憶は全て呑みに直結している。


しかし、なんてったって、呑みに誘っていただく機会が圧倒的に多い。
よそ者だから、珍しがって呼んでくれていた部分はもちろんあると思うけども、それにしても多い。


夜中に電話がかかってきて、いま松川(屋号)で飲んでるから来いやと言われて起きて10分後には乾杯していたり、みんなで西郷(地名)で飲んでるけどお前も来るかってことで真冬に原付で30分かけて会いに行ったり。


呑み以外でも、漁の手伝いしてみるかって声をかけてくれて、大量のマルゴ(ブリになる一歩手前のサイズの呼称)を網から外して選り分ける手伝いをしたら、お駄賃としてマルゴをまるまる四尾くれたときはビックリしたけど、三尾は贈り物にして、一尾はブリ茶漬け、照り焼き、刺身、ブリしゃぶなど、いろんな食べ方をして、贅沢させてもらいました、うんうん。


スクーターに跨った真冬の夜空はとてもとても寒かったけど、ほぼ全てにイエスで答えてきたことは今の私の大きな財産になっています


私の島生活の全てのイエスを引き出してくれた、一番最初のイエスは、隠岐古典相撲に出場したことかな。


隠岐古典相撲
私が住んでいた中村地区の出場力士たち
隠岐古典相撲
人生で初めて土俵という晴れ舞台に立った日



隠岐古典相撲は、錦織良成監督が劇団EXILEの青柳翔を主演にして『渾身 KON-SHIN』というタイトルで映画を撮っていますけれど、映画にできるくらいですから、まあそれはそれはドラマティックな一大行事なわけでございまして、島民全てがそこに向かって全神経を集中させるんですよ。そのパワーったらすごいですよ。


古典相撲の歴史をここで紹介するととてつもなく長くなるので省略しますが、一夜を通して繰り広げられる大相撲大会だから、老若男女、島の大勢が観戦しに来るため、そこに出場すれば、顔と名前が売れるってことで、挨拶がてら、何もわからず出場させてもらったんです。


そしたらもう、大感動しちゃって。
滅多に開催されない、島を挙げての大イベントのチャンスに、住んで一ヶ月も経っていない私が立ち会えるってこと自体がツイてるし、出場させていただけることがラッキーすぎるんですけど、私の取り組み(試合)なんてどうでもよくって、そこに全力を捧げる男たちの、スポーツとは違った人間ドラマが本当にかっこよくて、アツくなりました。


隠岐古典相撲



だらだらと、いろんなことを思い出して書いてきましたが、たったの二年間ですが、隠岐の島での生活は濃ゆすぎて、まだまだ書き足りません。


ひとまず、島で暮らす人々は最高で、島のポテンシャルを引き出せるのは自分の心持ち次第だなってことで、締めたいと思います。






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ABOUTこの記事をかいた人

横浜生まれ横浜育ちの知的好奇心の奴隷。 島暮らしと山暮らしを経ての、街暮らし満喫中。 新しい刺激に貪欲で、まったりするのも好きだけど、基本的には超アクティブな超・直感型人間。