エルメスの名香「ナイルの庭」の香りを嗅いだことがありますか。



この香水は、和やかで爽やかな、誰の気分も柔らかく仕立て上げてしまう香りで、ナイルには行ったことないけども、「あっ、ここはナイルの庭だな」って、思わせてくれる印象がある大好きなフレグランスのひとつです。



高級馬具店としてスタートしたエルメスでは、フレグランスも「」をテーマにしたブランディングがなされていて、庭園のフレグランスシリーズは人気を確固たるものにしていますね。


《ナイルの庭》 が描くのは、アスワンにあるナイル川に浮かぶ島での印象主義的な散歩です。そこは、新たな放浪の出発点。このさわやかな頌歌のなかには、グリーンマンゴー、ロータス、インセンス、ショウブ、シカモアウッドが漂います。

Hermes



この香水をつくりあげたのは、ジャン=クロード・エレナ
エルメスで一番最初に専属調香師という地位に就いた男性です。

私は香りの分野について全くの無知だったこともあって、香りに関する本を探していたところ、見つけたのが彼の著作である「香水 ー香りの秘密と調香師の技」という本。



文庫クセジュは基本的に難しい話が好きでない人は読むべき本ではないけど、私はそういう難しい話が好きで、かつ少しマニアックな話を求める傾向にあるので、読んでみました。

書かれているのは香水に関する全般的かつ教科書的な内容です。
香水の簡単な歴史、原料や素材、香水の分類、調香師が目指すべきものなど、多岐に渡っていて、香水の哲学者と呼ばれるにふさわしい著作だったかと思います。





そして読んでわかったことは、エルメスの名香「ナイルの庭」がなぜ「ナイルの庭」であるのか

それはつまり、彼がどういう背景の元に、何を意図して、どのようにその香水を作ったかという、その一連の物語がわかったということ。





いきなり答えを載せてみます。

長い引用文で、初見ではわかりにくいかとは思いますが、この本の要素がギュッと詰まった詩的な文章なので、読んでみてください。

 2005年、エルメスの「ナイルの庭」のテーマを選んだのは、アスワンのナイル川のなかの島の庭を散歩しているときだった。マンゴーの並木道、五月。マンゴーの木の枝は青い果実の重みでたわみ、果実が手の届くほど低く垂れていた。ひとつ、実をもいだ。花床から透明な乳液があふれ出た。鼻に持っていった。匂いに魅了された。樹脂、オレンジの皮、グレープフルーツ、にんじん、オポポナックス、杜松、酸味のある匂い、甘い匂い、強い匂い、優しい匂いなど、匂いのイメージがあふれ出てきた。抗わず、感覚を愛撫されるままに、匂いを自分のものにする。この喜びと感覚を、私と一緒にいる人びとと分かち会いたい。こうしてテーマが決まった。

 ジャスミン、オレンジ・フラワー、スパイスなどの香りは、西洋によって想像された東洋の神秘的な香りのなかにエジプトを閉じ込めてしまう。だからこの散歩のもうずっと前に、私のコレクションからは除かれていた。

 この庭を、紋切り型でない方法で物語りたかった。青いマンゴーの匂いが記号となり、ナイルの島の庭の象徴となった。あとになって、エジプトではこの果物のために年に一度のお祭りがあることを知った。

 きっかけの選択がもっとも重要だ。そしてここまで見たように、匂いの錯覚の目録が記憶のなかになければ創造もできない。その錯覚の目録は、必要に応じて修正し、並べ替えていくことができる。

『香水 ー香りの秘密と調香師の技』





「ナイルの庭」はまさしく、彼のもつ優れた嗅覚と、豊かなイメージ力と、確固たる哲学があってこそ生まれたアート作品。






彼がマンゴーの匂いを嗅いだ瞬間、感性が一気に花開いたときの感覚は、どのようなものだったのでしょうか。

その感覚って、画家が完璧な構図の情景を目の前にして、すぐさま筆を取るような、そんな感覚なんでしょうか。





妄想が大好きな私は、「ナイルの庭」の匂いを元に彼の感動を辿るだけで、頭の中にはその光景が浮かんできて、心踊ります。






私たちは「ナイルの庭」の匂いを感じたとき、ある種の感動を得ることができる。

それはおそらく、過去の記憶や共通の思い出が呼び起こされることによる感情の動きなのでしょうけれど、では、その感動を作り出した調香師の原体験の感動って、どれほどのものなのだろうかって、この本を読んであれこれ考えてると思い馳せちゃいます。





・・・

あらゆる方法で訓練されたプロフェッショナルたちの鼻は、なんと、匂いを感知できる能力が常人の10倍もあるそうですね。

すごくないですか。10倍ですよ。

ワインソムリエがいくつものワインを比較検討してアロマに対する感性を鍛えていくのと同様に、調香師も膨大な数の香りを相対的に分類することで、それぞれの素材の個性を掴んでいくと言います。

「ナイルの庭」は、そんな並外れた感性の持ち主がつくっている。もちろん他の香水だってそう。






彼らにとっての香水の素材は言葉と一緒で、言葉を並べてひとつの物語を紡ぐように、匂いを並べてひとつの香水を作りあげる

(私が言葉を選んでブログを書くことと、匂いを選んで香水を作ることが一緒の感覚だなんて、当たり前ながら、想像ができません。)

しかし、ただ印象に残っている匂いをスナップ写真のように切り取って、匂いを複製すればよいわけではなく、匂いを自分なりのフィルターを通して解釈し、記号に変換することが重要。

私は香水のなかで、お茶や小麦粉、いちじくを自然のままに再生して人を驚かせようとはしない。香水をつくるとは、匂いを解釈し、記号に変換することである。この記号が意味を伝えるのだ緑茶の香りは日本の、小麦粉は肌の、マンゴーはエジプトの記号になる。こうした記号は職業的ノウハウ以上のもので、私はそれを、自分固有のスタイルや趣味に従って綴っていく。こうして綴られたものは、模倣はできるが伝えることはできない。その意味で、ひとつの芸術になる

『香水 ー香りの秘密と調香師の技』



彼が分かち合いたかったマンゴーの匂いを、マンゴーのまま再現するのでなく、その匂いを咀嚼し、解釈し、記号として一旦記憶する。

そしてそれを彼なりの文体で紐解き、様々な香りを関連づけて並べることで、「ナイルの庭」が生まれる。










10倍の嗅覚の持ち主が圧倒的感性で作り出す香水という芸術を、数多く楽しんでいきたいと思う、この頃です。


もうすぐ花の季節がやってくる。





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横浜生まれ横浜育ちの知的好奇心の奴隷。 島暮らしと山暮らしを経ての、街暮らし満喫中。 新しい刺激に貪欲で、まったりするのも好きだけど、基本的には超アクティブな超・直感型人間。